2日間だけ
この人がいたから大学時代生きていられたというほど感謝している友人の実家にお邪魔していた。会うのは半年ぶりだ。積もる話。
でも私の体力がなくてほとんど寝ていた。晩御飯に角煮をいただいた。なにか(魚)の西京焼きも美味しかった。彼女と同じ空間にいる時だけ自己否定の痛みを忘れている気がする。わからない。彼女に依存しているのだろうか。執着しているのは確かだ(在学中は彼女が他へ行くと泣いたりしてもっとひどかった)。いつものように散歩した。夏の夜の闇を2人で歩いた。私たちの会話は同じテンポを刻んでいる。田んぼの青臭い匂いとカエルの響きあう満点の星空。
朝起きて目玉焼きを食べる。彼女は海苔に醤油をつけて食べる。おいしい。
しばらくして歩いてパン屋さんへ。その後コンビニでファミチキを2人で買う。
わたしはうまく話せているだろうか。
台風で延期になってから、なかなか出発できずにいた(なんと到着したのは夕方5時だった)。人としていろいろな約束が守れない。
でもそれでも、こんなことになっている私の手を離さないでいてくれるだけで、もしこれからそうではなくなったとしても、彼女のことを恨むことはできない。彼女が大事にしているものを絶対に壊したくない。
実家を這い出て最初に見た光が彼女で本当に良かった。
今1人の部屋に帰ってきてこれを書いている。頭の中が静止している。ずっと痛みを忘れていられたらいいのに。彼女を失わないように友人として最善の振る舞いを考えることで気持ちを落ち着かせる。
そよ風のように言葉を紡ぐ人は彼女にぴったりだと思った。よかったなあと思った。
あなたの息子に生まれたかった
見返したら水面の写真を50枚ぐらい撮っていた。同じ場所で。目でみえているものと、シャッターを切って保存される画像の違いにむむ、と唸っていた。欄干に乗り出した上半身に陽光が照り付けてくる。春みたいだ
ほんとに水ばっかり撮っている。
やっぱりこの天気に同じことを思う人は多いらしく、川ぞいの広場は小さな子供たちやその家族、お年寄りでいっぱいだった。皆がそれぞれの時間を過ごしている。テントを張っている人。自転車の練習をする人。走る人。ただおしゃべりする人。犬。浮かぶカモ。
・帰りは久しぶりに前に住んでいたアパートの近くを通った。
だらだら歩きながらかわってないなあ、と思う
アパートの近くにある3階建てのビル。1階にピザ屋が入っていて、2,3階は学習塾になっている。この周辺は常にピザの匂いがしている。つまりこの塾に通う子供たちは、ピザの匂いとともに勉強をしている。この塾をやめたあとも、ピザの匂いがすると勉強しなければという気持ちになるのだろうか。条件付けはそんなに単純なものじゃないか。ピザ=勉強。プルースト。
・シャンプーとリンスのために、ついでにドラッグストアに寄る。よくみると価格帯が広いですね。900円のシャンプーと400円のシャンプー、どちらを買うか。
あんまりこだわりは(今のところ)ないので、実家で使っていたもの、山桜の香りが新しく出ていたのでそれを買う。
そういえば、人に何のシャンプーを使っているか聞いたことがない気がする。いや、一回ぐらいあったかな?いくら友人同士とはいえ、個人的な部分すぎるのだろうか。その先に続く会話も想像しづらい。
Q「シャンプー何使ってんの?」 A「…なんで?(匂いかいだの?え…)」
ってなったら終わりだ。詰みの匂いがする。仮にどのシャンプーか教えてもらっても、その先に鉱脈があるとはあんまり思えないな。
「あ、へぇ〜パ○テーンのね、へぇ〜」 〜終〜
・最近は詩ばかりよんでいるので、何か詩的なことを書きたくなってしまうんですが、やっぱり言葉を扱うプロの作品は美しいですね、自由でうつくしい。 私もかけたらいいなあと時おり思いますが、誰にでもできたら詩人という職業は成立しないわけだ。もちろん誰もが詩人になりえるのですが、それを職業にしようとする人にしかわからない厳しさと奥深さがあるんだろうと思います これは詩人に限った話ではありませんが
中原中也賞の発表もありましたね…
詩集はどれも装丁が素敵で、普段kindleにお世話になりっぱなしの私も、これは紙でほしくなるぞ…。名久井直子さん(著名なブックデザイナーです)の仕事の多さにも同時に驚きつつ…。
・私のなけなしの詩情を題名にだけこめました、内容と何ら関係なくてあれですが…